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つねさんの回顧録−1 

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メモリー日記
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「つねが使うんや。

ええもんつくってやらなあかん」

建築を営んでいた彼の父はそう言って、

つねに、丈夫な建物をつくってくれた。

会社を設立

つねさんが懐かしい目で語ってくれる話は

1960年代の話である。

初代社長が

立ち上げた鉄工所が軌道に乗り、

新たに会社の建物を新築することになった。

そしてその建物を建てるため、

安くてしっかりした木材を探していたところ、

つねのおばさんが、耳寄りな話を持ってきた。

「XX製紙工場が廃業になるらしい。

社長は工場の建物を壊して、

資材を売却するらしいよ。」

それを聞いたつねさんは

初代社長と相談して、

製紙工場で使っていた

質の良い木材を買い取ったのだ。

建築はつねの父が受け持つ。

この建物は、いわば

親父と息子が共同で建てた社屋である。

「息子が立てる会社の建物じゃ。

ええもん作ってやらなぁ。」

父はそう言っていた。

社屋の一部を社宅にして、

鉄工所は一段と大きくなり、

株式会社になった。

そして、

つねさんは、

その株式会社の社長に就任したのだった。

つつましいけど優しい社宅

会社の奥に社宅も作ったので、

希望する従業員たちは

そこに住み始めた。

社宅はキッチン、トイレ、居間、四畳半の寝室が2つ。風呂は共同である。

賃貸料は3500円だった。

当時、社員たちの給料は4万円くらい。

社員たちは結婚して、家族を作り、

子供たちはその社宅で育っていった。

お風呂は社宅の共同風呂だったので、

一家族が、お風呂を終えるたびに

次のお家に

「お風呂どうぞ」

と声をかける。

仕事がおやすみの日は

工場の中は子供達の遊び場になる。

建築材料の中を這い回って遊ぶのだ。

今は到底危なくってできないが、

当時はそれが平気だった。

つねさんの思い

……それから30年たった1992年。

社宅は閉鎖されることになった。

ギリギリまで社宅に住んでいた人がいたので、

「今の社宅の家賃はいくらになっているの?」

と聞くと、

つねさんは、

「3500円。」

といった。

3500円!

1992年だと、従業員のお給料は

1万5000円ではないはずだ。

聞くと、

社宅に人様を住まわせてから

一度も値上げをしなかったらしい。

どうして値上げしなかったのか聞くと、

「みんながお金を貯めて

家を建てて、

独り立ちするのを見るのが

ええんじゃ。」

つねさんは、

ひょうひょうと答えるのだった。

つねさんのホールインワン

仕事で忙しいつねさんが

熱心に続けているスポーツがあった。

ゴルフである。

もう50年くらい続いているだろうか。

2003年のある日、つねさんは

ゴルフをやっていて、

思いがけず、

ボールを

一回で

穴に入れてしまった。

奇跡のような

「ホールインワン」である。

つねさんはゴルフの保険に入っていて、

ホールインワンをすれば

100万円もらえるようになっていた。

ゴルファーがホールインワンをすれば

お祝いに仲間を呼んで、

祝賀会とかするのが普通らしい。

だから、

そのための資金が、保険で支払われるのだ。

適当に祝賀会をして、

残りのお金を自分のポケットに入れても

誰も文句は言わない。

なのに彼は

「こういうお金は貯めとかずに

パーとみんなに分け与えたほうがいい。」

そう言って、

せんべいの大きな缶を

いっぱい買ってきて、

自分の家族、親戚、

従業員、そしてその家族にまで、

感謝を込めて

せんべいの缶を

ひとりひとりに送った。

「こんなことは、もう2度とないから」

そう思ったらしい。

そして、祝賀会として

コンペも催した。

「なんやかや使って

結局もらった100万じゃ全然足りんでのう、

170万くらいの出費になったんじゃ」

と笑っていた。

そして4年後の2007年、

つねさんはもう一度、

ホールインワンを出す。

そしてさらに3年後の2010年、

なんと3回目のホールインワンを出すのだ。

2回目からは初回の赤字を教訓に

コンペだけを行い、

100万円の予算内で済ませたらしい。

80をゆうに越えておられるが

今もお元気で

ゴルフをやっている

爽やかなおじいさまである。

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