問診だけで「コロナ患者」になった私。
判定テストも何もない。
まさしくあの頃は判定テストをはじめPPE(プロテクト用品、マスク、エプロン、手袋)全て足りない時代だったのです。
マスクをする習慣もなく、かえってマスクをしてたら「私病人だと触れ回ってるようで嫌だわ。」
という欧米のお国柄もあり、
あえて付けなかった。
だから売ってもなかった。
製造もされてなかった。
やっとマスクが売ってたと思ったら
一枚の使い捨てマスクが1.5ポンド、
一箱が70ポンド。
1ポンドは約140円くらいだから一枚が210円。
50個入りマスクの箱が9800円という、
まさしく2020年春は、マスクインフレの時代でした。
医療機関でマスクが不足し、
かろうじて重症コロナ患者をケアする人にはマスクを支給したのだけど、
病院には行かない患者、例えば老人ホームとかには十分行き渡らず、
そこで感染した患者には、
マスクなしで看護せざるをえず、
当然看護師がまずうつり、その家族から友人、知人、
今は車、電車、飛行機と遠距離に行ける手段がいくつもあるので、
瞬く間に遠方に広がりました。
この状態を重く見た政府が
ロックダウンという政策、都市封鎖を行い、
人々の必要以上の行き来を禁止しました。
StayHome StaySafe のスローガンのもと、
すべての商店、小売業者、ジム、娯楽施設、レストラン、パブ、美容院、みんな閉まりました。
開いているのは、ないと困る機関のみ、
食料品店(スーパーなど)、銀行、ペット関連店(ペットフード)、病院、運送業、など。
学校、幼稚園、保育園などは一時閉校になりました。外出は野外の運動一回のみと必要最低限の生活必需品のためだけの買い物。
そのあとどうなったか?
買い占めが始まったのです。
スーパーからトイレットペーパー、卵、ミルク、小麦粉などが棚から消えてしまいます。
そんな社会が混沌とする中、私も感染したのです。
障害者施設で働いていた私は、
その入居者の中にコロナ感染者がいて、
その方に接触した職員が次々と感染していた というのを後で知りました。
今思えば私もそのうちのひとりだったのかもしれません。
パッチングワーカーです。げばおばちゃまは私の妻と同い年かな?下の娘が大学院生です。
私のイギリス初上陸は1985年だったと思います。卒業旅行でヨーロッパ40日くらいかけて周りました。ロンドン、オックスフォード、ストラットフォードアポンエイボンなどの有名どころに行きました。次の上陸^_^は1992年にルクセンブルクから。当時のヤオハン目当てでした。仕事ではサウスハンプトンに頻繁に出入りしていました。
またお邪魔します。
お邪魔しちゃってください。イギリスに漂流したら、オフ会して飲みましょか?もしよければこのコメント読んでるあなたもぜひ!なーんて言ったら「Social Distance 守らんかい」って怒られるかしら?
一気にwordpressっぽくなりましたね。
テーマは何を使っているのですか?
うわー早速ありがとうございます。今休暇中なので勉強して頑張りました。テーマはCoccon Childを使いました。これは返信できますように